世界最古に栽培された豆類「エンドウ」

栽培されているエンドウ

 紀元前8500年頃、つまり、今から1万年以上前に、いわゆる肥沃三日月地帯(古代オリエントの中心地)で栽培されていたのが「エンドウ」です。

 エンドウは、マメ科としては世界で初めて栽培された植物といえます。ところで、野生のエンドウは実が莢からはじけるように遺伝子が組み込まれています。それは、種の保存としては自然なことです。しかし、栽培されたエンドウは莢から実がはじけないものでした。では、エンドウは実がはじけるものと、そうでないものと2種類の遺伝子を有しているのでしょうか?そうではありません。実のはじけなかったエンドウは突然変異を起こしたものでした。

 この突然変異が、人類がエンドウを栽培することになった大きな役割を果たしました。なぜなら、紀元前8500年前の人たちがエンドウを食べようとしたとき、彼らは地面に散らばったエンドウの実をいちいち拾い集めなければならなかったからです。しかし、実のはじけないものならそのような手間はいりません。

「おーい、こっちのエンドウは莢に入ってんぞ」

「そんなら、莢に入っているものだけ集めて持って帰んべえか」

「んだ、んだ、そのほうが、落ちてる豆を集めるより簡単でええよ」

 彼らはきっと、こんな会話を交わしながら、莢に入ったエンドウを採取したのでしょう。こうして持ち帰られたエンドウが、やがて人間の手で栽培されるようになったのです。

 エンドウという名前は、原産国フェルガナ(現在はウズベキスタン共和国の都市)から中国に渡った際、その昔、中国ではフェルガナを大宛国と呼んでいたため、「宛の豆」で「エンドウ」と呼ばれるようになったということです。

 エンドウが遣唐使によって中国から日本に伝えられたのは、西暦800年から1000年ごろと言われています。 なお、桓武天皇の西暦804年には、伝教大師・最澄と弘法大師・空海が遣唐使船で唐の国に渡っています。

 源順の編纂した「倭名類聚抄」(平安中期)には、乃良末女(のらまめ)として記載されています。しかし、日本で本格的にエンドウが栽培されるようになったのは明治以降、欧米から様々な品種が輸入されてきてからのことのようです。

エンドウの栄養

 エンドウは「高たんぱく・低脂肪」食品です。肥沃三日月地帯で農耕を始めた人たちは麦の栽培もおこないました。麦類は炭水化物が主成分です。そこで、たんぱく質を補うためにエンドウも栽培したのです。もちろん、当時の人たちがたんぱく質や炭水化物という言葉を知っているわけはありません。ただ、人間の本能として必要な栄養素を補充したのだと思います。

 エンドウには、たんぱく質をはじめとして、ミネラル類では、カリウム、亜鉛、銅、マンガン、鉄などが含まれています。

 さらに、糖質も多く、エネルギー源ともなります。ビタミン類では、ビタミンB1・B2・B6、パントテン酸、そして、活性酸素を抑え動脈硬化や心筋梗塞などの生活習慣病から守るベータカロテンも含有しています。

 これだけ豊富な栄養素を含んでいるのですから、古代の人たちがエンドウを栽培したのも最もだと言えるでしょう。

エンドウを美味しく食べよう

 スナップエンドウは、茹でるだけでも卵とじにしても美味しくいただけます。また、グリーンピースはグリーンピースご飯にしたり、ピラフや焼き飯に入れたり、スープの具にしたりと、その使い方は豊富です。

 淀橋市場の東京新宿ベジフルの出荷カレンダーには、きぬさややスナップエンドウの類を「さや」としてまとめていますが、そこに表示されているのは、北海道=7月~10月。岩手県=6月~7月。福島県=4月~7月中旬。茨城県=5月中旬~6月上旬。栃木県=5月中旬~6月中旬。静岡県=9月中旬~翌年の5月中旬。愛知県=11月~翌年の5月中旬。鹿児島県=10月中旬~翌年の4月まで、となっています。

 野菜は旬の時期が一番おいしいことは間違いありません。

 古代の人たちが農耕する姿に思いを寄せながら、旬のエンドウで、ご自慢の料理を作ってみてはいかがでしょうか? (W)